みなさんこんにちはミルクマイスター®︎高砂です。
今日放送を見てくださった方ありがとうございました!
ONAIRは自分では恥ずかしくて見れません。。
さて、今日放送された内容のおさらいを
紹介させていただきたいと思います。
まず、現在の牛乳パックになる以前のお話をします。
牛乳が一般的に飲まれるようになったのは
ヨーロッパで15~16世紀頃と言われています。
フェルメールの有名な絵画
【牛乳を注ぐ女】
が1660年に描かれたものなので
もうその頃には、食卓に
牛乳が並んでいたことになります。
当時は、大きなブリキ缶に入れて
一軒一軒をまわって
柄杓で5勺ずつ(約90ml)を量り売りしていたそうです。
その後、小分けになったブリキ缶で
宅配するスタイルに変化していきました。
しばらくブリキ缶の時代は続いたのですが
明治18年にブリキ缶の使用が中止されます。
ブリキ缶は洗いにくい、中身が見えないなどの
理由から一般販売では使用が中止されます。
海外ロンドンではすでに1857年
牛乳瓶での販売が始まっていました。
それから明治21年に、東京牛込の牛乳店が
はじめて牛乳瓶での販売を開始しました。
当時は細口の瓶で色も付いていたそうです。
その後、牛乳の生産が盛んになり
瓶での販売が主流になっていきました。
昭和3年には、警視庁から【牛乳営業取締規則】が出され
無色透明の瓶で、王冠か紙栓で密閉することを義務付けられました。
その後、細口の瓶から洗浄しやすい広口の瓶になり
みなさんがよく知っているいわゆる牛乳瓶の形になっていきます。
日本が瓶牛乳真っ只中の1915年。
アメリカで現在の屋根型牛乳パックの原型になる形を
ジョン・R・ヴァン・ウォーマーという方が開発します。
割れた牛乳瓶を見て、瓶に代わる新しい容器はできないかと
開発を進めたそうです。
ですが、なかなかその図面通りに製作できる機械が
できない、瓶に投資していた農家の反対にあうなどして
商品化にはだいぶ時間がかかりました。
商品化されたのは、1936年エクセロ社(現:ELOPAK エロパック (ノルウェー))
がピュアパックという名称で販売を開始しました。
スーパーマーケットが台頭し始め
大量生産、大量消費という流れには、
容器の軽量化が不可欠でした。
日本に紙パックの販売が始まったのは1956年。
東京の牛乳メーカーが、三角の紙パック(テトラパック)を
初めて販売しました。
その後、東京オリンピックで紙パックの容器が使用され
経済成長とともに、宅配牛乳主流から
スーパーなど店頭で購入するスタイルに変わっていき
1977年には、瓶の出荷数を紙容器の出荷数が抜きました。
冷蔵庫の普及も大きな要因でした。
現在でも、牛乳容器の8割以上は紙パックです。
これからのライフスタイルの変化によって
変わっていくことも考えられますが、
現状では、牛乳には紙容器が一番適していると言われています。
出典:一般社団法人 Jミルク/トモエ牛乳博物館所蔵